2015年
9月7日更新

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戦争法案廃案! 8.30 国会を12万人で包囲!

被爆70年原水禁世界大会開く

非核平和行進で核兵器廃絶と戦争法案反対をアピール

戦争法案廃案! 
8.30 国会を12万人で包囲!

 8月30日、戦争法案の廃案と安倍政権の退陣を求める「国会10万人・全国100万人大行動」が行われ、12万人が国会を包囲しました。

 小雨のなか午後2時の集会開始を前に、昼頃には国会周辺が人の波で埋まり、集会開始直前には、国会正門前の車道に人々があふれ出し、歩道も車道も完全に参加者で埋め尽くされました。

 集会には、民主党の岡田克也代表、社民党の吉田忠智党首、共産党の志位和夫委員長、生活の党の小沢一郎代表が参加し、それぞれスピーチを行いました。

 また、音楽家の坂本龍一さんも参加し、「現状に対してかなり絶望していたが、若者たち、女性たちが発言しているのを見て、日本にもまだ希望があるかなと思っている」と述べ、「一過性のものにしないで、行動を続けてほしいし、僕も皆さんと一緒に行動していく」と結びました。

 沖縄のヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は、「戦争法案反対、辺野古新基地建設反対、原発の再稼働を絶対に止めていく。これが安倍政権打倒のトライアングル。国民の大結集で闘い抜こう」と訴えました。

 この日、全国300カ所以上で同様の行動が行われ、100万人以上の人々が参加しました。戦争法案廃案まで全力で闘っていきましょう。 

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被爆70年原水禁世界大会開く

 被爆70周年原水爆禁止世界大会が福島・広島・長崎で開催されました。福島大会は8月1日、福島県いわき市平中央公園で開催され、全国から850人が参加しました。大会には埼玉から約50人がバスなどで参加しました。

 8月4日からは広島大会、7日からは長崎大会が開催されました。両大会に県内から約40人が参加しました。また、1994年から22年間継続してきた「ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団」に県内の小中学生11人が参加し、被爆の現実を学んできました。

 今年は原水禁結成50周年という節目の年にあたるため、8月6日には広島で原水禁国民会議結成50周年記念シンポジウムが開催されました。

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非核平和行進で核兵器廃絶と
戦争法案反対をアピール

 7月18日、さいたま市民会館おおみや小ホールで、反核・非核交流会(主催:原水爆禁止埼玉県民会議・戦争をさせない埼玉県1000人委員会)が開催されました。その後、非核平和行進が行われ約2.2qを核兵器廃絶と戦争法案反対を訴えました。
 交流会では、主催者挨拶と連帯挨拶に続いて、被爆者の訴えとして埼玉県原爆被害者協議会の吉村和弘事務局次長が、自身の長崎での被爆体験と今年4月ニューヨークで開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議に参加したことを報告しました。
 その後、清水雅彦日本体育大学教授(戦争をさせない1000人委員会事務局長代行)による「戦争法案を廃案へ」と題した講演が行われました。清水さんは、集団的自衛権とは「他衛」であり、「侵略」であると指摘し、みんなの力で安倍政権を追い込んで戦争法案を廃案にしようと訴えました。
 講演の後、「第22回ヒロシマに学ぶ埼玉子ども代表団」や「第27回反核平和の火のリレー」などの取り組みの報告が行われました。
 非核平和行進では、澤地久枝さんらが呼びかけた「アベ政治を許さない」と書いたメッセージカード(字は熊谷市在住の俳人金子兜太さんによるもの)を全員が掲げ、市民にアピールし行進しました。この日、同様のメッセージカードが午後1時、全国一斉に掲げられました。

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 沖縄本土復帰から43年目を迎える今年、基地のない沖縄の実現を訴えるために「沖縄平和行進」が5月15日と16日の両日行われました。15日は、辺野古新基地建設予定地の向かいにある名護市瀬嵩海岸に1200人が集まり出発集会が開かれました。埼玉平和運動センターからは19人が参加しました。
  集会では平和行進副実行委員長の福元勇司さんが「国土の0.6%しかない沖縄に74%の米軍基地を押しつけている。さらに新基地を作ることは許せない。絶対に阻止しよう」と訴えました。連帯挨拶で平和フォーラムの藤本康成事務局長は「この大浦湾の豊かな自然を壊させてはならない。戦争を行うための新基地は建設させてはならない」と、前日の戦争法案の閣議決定を批判しました。
 集会後、行進をスタートさせ、米軍キャンプ・シュワブに到着し、抗議行動を行いました。キャンプ・シュワブ前では参加者は1500人にも達し、基地ゲート前での座りこみと集会を行いました。
  2日目の16日は、宜野湾市役所で出発式を行いました。出発式には吉田忠智社民党党首と、沖縄選出の照屋寛徳衆議院議員が参加し、激励の挨拶を行いました。
 集会の最後に、二つのコース(南コースと北コースの二つ)の団長と本土側代表が決意を表明。南コース本土代表である埼玉県平和運動センターの村田事務局長も挨拶しました。その後二つのコースに分かれて基地のゲート前や、10年前に起きた米軍ヘリ墜落事件の沖縄国際大学前を通り、シュプレヒコールを繰り返しながら7〜8キロを行進しました。
  両コース行進団は、宜野湾海浜公園の野外劇場で合流し、集約集会を開催しました。集会には2600人が参加しました。
  この日の午後、埼玉平和センター独自の南部戦跡をめぐるフィールドワークを実施。「語りつぐ沖縄平和の会」の平和ガイド・本村文代さんから説明を受け、充実したフィールドワークとなりました。

 

風光明媚な大浦湾(右)を望みながら、新基地反対を訴える
=5月15日

 

普天間基地の即時撤去を求め平和行進
=5月16日

 

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  3日目の17日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止を訴える「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」(主催・同実行委員会)が那覇市の野球場「沖縄セルラースタジアム」で開かれました。大会には3万5千人が結集し、スタジアムを埋め尽くしました。
  県民大会で挨拶した翁長雄志知事は、「県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地は造らせない」と力強く訴えました。そして、「辺野古が唯一の解決策」とする政府の姿勢を、「日本の政治の堕落だ。自国民に自由と人権、民主主義を保障できない国が世界の国々とその価値観を共有できるのか」と痛烈に批判しました。
  最後に、政府の対米従属を「日本の国が独立は神話だと言われないように、安倍首相、頑張ってください。うちなーんちゅ、うしぇーてぇー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」と締めくくりました。翁長知事の挨拶が終わると、会場は総立ちとなり拍手が鳴り止みませんでした。
  最後に、参加者全員でメッセージボードを掲げ、「辺野古新基地NO!」「私たちは屈しない」とシュプレヒコールを繰り返し、団結ガンバローで閉会しました。

 

那覇市セルラースタジアムに集まった3万5千人が『辺野古新基地NO』を叫ぶ
=5月17日

 

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 5月21日午後、東京・日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会」が開かれました。集会に先立ち、埼玉県の独自集会が行われ、部落解放同盟埼玉県連や埼玉県平和運動センターに結集する埼玉教組など県内労働組合、各地の石川一雄さんを支援する会の代表らが狭山事件の再審開始を訴えました。
  集会では、石川一雄さんと早智子さんが「皆さんの力で大きな風を吹かせ、今年こそ見えない手錠を外し、再審開始の決着をつけたい」と述べ、証拠開示と事実調べを訴えました。
  弁護団は、「埼玉県警は3度目の家宅捜査で被害者の万年筆を鴨居の上から発見するが、その隠し場所は石川さんが捜査員の誘導で書いたもの。それが取り調べテープで明らかになり、改ざんしたことが明確になった」と説明しました。そして、新証拠が東京高検以外にも、埼玉県警やさいたま地検にもあるとして、今後証拠リストの開示を求めていくと述べました。
 集会には袴田事件の袴田巌さんと姉の秀子さん、足利事件の菅谷利和さん、布川事件の桜井昌二さんと杉山卓男さんたちも参加し、「石川さんの一日も早い再審開始を」と訴えました。集会後、参加者は東京駅近くまでデモ行進し、石川さんの無実を訴えました。

他のえん罪被害者とともに狭山再審闘争の勝利を訴える石川一雄さん(左端)
=5月21日

 

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