2008・3/21更新


埼玉教育フォーラム結成3周年集会
狭山事件の再審開始求め埼玉集会
フィールドワーク「埼玉の平和モニュメントを歩く」を実施
飢餓を救え! アフリカ・マリへ支援米510キロ

  埼玉教育フォーラム(共同代表、浪江福治県平和センター議長ら9氏)はこの4月で結成3周年を迎えます。これを記念する集会が4月18日(金)夜、浦和駅東口の浦和コミュニティセンター(パルコ10階)で開かれることになりました。講師は幅広い分野で評論、講演活動を続け、さいたま市に在住する高橋哲哉東大大学院教授。
 埼玉教育フォーラムは上田清司県知事による「新しい歴史教科書をつくる会」副会長だった高橋史朗氏の県教育委員への起用に反対する行動のなかから発足しました。その後、教育基本法の改悪反対運動のほか、県内の小学生の通知表に「愛国心」が評価項目とされていることへの反対行動などを積み上げてきました。
 集会では高橋教授が「憲法改悪と教育のゆくえ」と題して講演するほか、この3年間の活動の報告や国会・県会情勢の報告などが予定されています。入場は無料です。

 


  1963年に狭山市で起きた女子高校生殺人事件で被差別部落出身の石川一雄さん(69)に一審の浦和地裁(当時)が死刑判決を言い渡してから44年が経過しました。部落解放県共闘(議長、浪江福治県平和センター議長)と石川さんを支援する会埼玉連絡会(会長、秦哲美県議)、部落解放同盟県連(片岡明幸委員長)は再審開始を求める埼玉集会を3月11日夜、さいたま市のときわ会館で開きました。300人が参加し、東京高裁に事実調べ、東京高検には全証拠開示を求める一大運動を巻き起こすことを誓い合いました。
 集会では主催者を代表して片岡委員長が「ここ3年ほどの間にえん罪事件が次々と発生している。狭山裁判の勝利に向け全国のえん罪事件と手をつないでいきたい」とあいさつしました。
 続いて再審を求めながら、2月に宇都宮地裁で棄却された足利事件のビデオが上映された後、同事件の受刑者・菅家利和さん(61)を支援する松本恵美子弁護士と菅家さんを支える会の西巻糸子代表が特別報告し、棄却の不当性を訴えるとともに狭山裁判と連帯して闘っていく決意が述べられました。
 また新たに狭山再審弁護団に加わった指宿昭一弁護士が裁判の現状について報告、「再審の門を開ける力は法廷の外にある」と語り、世論喚起の重要性を強調しました。
 妻の早智子さんとともに石川さんが登壇し、「無罪判決を勝ち取るために全力をあげる。ご支援をお願いしたい」と決意を述べました

 

 

 


県平和資料館で記念撮影

 埼玉平和センターは2月2日、30人余りが参加してフィールドワーク「埼玉の平和モニュメントを歩く」を実施しました。これは埼玉県平和資料館が上田清司県知事の発言を受けて従軍慰安婦の表記を一方的に「従軍」を削除するなど展示の見直しを強行するなど、歴史認識をめぐって危険な動きが起きているためです。


吉見百穴のトンネルで

  川越駅に集合した参加者は、マイクロバスでまず吉見町の吉見百穴に向かいました。吉見百穴は古墳時代の横穴墓として国指定史跡となっていますが、太平洋戦争中は地下軍需工場でした。日本政府は相次ぐ空襲を避けるために重要な軍需工場や軍の施設を地下に移転する計画を進めたのです。吉見百穴下の地下工場はエンジンを製作していた中島飛行機大宮工場を移転する目的で作られました。工事には3千人から3千5百人の朝鮮人労働者が従事しました。私たちは高校生と調査活動に携わってきた大宮北高教諭の江藤善章さんから真っ暗なトンネルを歩きながら説明を受けました。
  東松山市の丸木美術館で故丸木位里・俊画伯の大作「原爆の図」などを学芸員の説明を受けながら鑑賞した後、県平和資料館を訪れました。比企丘陵にそびえたつ立派な施設ですが、その展示内容は他県にある平和資料館と比較すると残念ながら見劣りします。ところが上田知事は06年6月の議会で「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった。強制の証拠はない。県平和資料館は自虐史観に流れる部分はないか、世界の平和に対する日本の貢献を伝える役割を充実させるなど、見直すべきである」と発言しました。これを受けて、県平和資料館は同年7月に歴史年表の従軍慰安婦の表記を一方的に変更したほか、南京大虐殺についても「大」を削除し、写真も削除しようとしましたが、各方面からの抗議で写真、キャプション(写真説明)とも復活する動きが起きています。あいにく当日は館側から責任ある説明を受けられませんでしたが、埼玉県平和資料館を考える会の新崎博昭さんからこの間の経過などについて説明を受けました。

丸木美術館「原爆の図」の前で


  最後に訪れたのは県平和資料館のすぐ近くにある岩殿観音です。本堂のそばに火災に備えて雨水をためておくための天水桶の台座があります。この天水桶は1842年に比企・入間を中心とした被差別部落の人々によって奉納されたもので、「今後どんな困難が起こってこようとも、そのときには連帯して助け合おう」と誓い合ったといわれています。その翌年には「武州鼻緒騒動」と呼ばれる事件が発生しましたが、誓いを守って比企や入間、遠くは大里から多くの部落の人々が駆けつけました。けれども江戸幕府の厳しい弾圧によって多数の犠牲者を出しただけでなく、天水桶も仁王門の外に放り出されてしまいました。説明にあたった部落解放同盟県連共闘部長の山本道夫さんは、「労働運動もない時代に、一人は万人のために、万人は一人のためにという立場で闘ったことは画期的ではないか」とその意義を語りました。

岩殿観音の天水桶の前で


  限られた時間と見学箇所ではありましたが、県内にはこのほかにもたくさんの平和と戦争、人権を考える素材があります。県平和資料館はそれらを集約し、広く県民の目にふれるようにすることこそ任務ではないでしょうか。

 


 

  食・みどり・水と環境を守る埼玉県民会議(議長、高橋正平元県議)は1月29日、飢餓に苦しむ世界の人々に人道支援するアジア・アフリカ支援米運動の一環としてさいたま市で発送式を行いました。今回は同市の2カ所で15アールの作付けをして収穫された510キロがアフリカ・マリ共和国へ送られました。

あいさつする浪江県平和センター議長

  発送式では高橋議長に続いて運動に取り組んだ南部市民の会と東部市民の会の代表らが苦労話を交えながら、それぞれあいさつしました。
  なお県内では市民や小学生に農業を体験してもらう「体験学習田」を川越、熊谷の両市で実施しています。

トラックに積み込まれる支援米




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